ホワイトパールと赤のハートのペンダント


本店に入ると多彩な種類の真珠のアクセサリーが輝きを放っていた。
真珠は、6月の誕生石だ。
イヤリングにしてもネックレスにしても真珠は女の人を引き立てるものだ。
それも十万円以上もする高価な代物なのだから。
あきらめて一連の淡水のネックレスとブレスレッドを購入した。
その淡水真珠には18Kの五芒星も煌めいていた。
(本店とは無関係だが)パラダイスビーチと表現されているタヒチでは、
黒真珠も養殖されているようだった。

hearts aglow Pendant(ハーツ アグロウ ペンダント)は、中央のハート型の
赤い宝石から後光が輝いて見えた。
これを作るのには高度な技術が必要なのだろうか。
そのペンダントからフランシスコ・ザビエルの肖像画で彼が手元に握っていた
赤色のハートの物体を彷彿したのだ。
黒のマント姿に背景のIHSに後光が差し、その上に十字架の磔のイエス・キリスト
からは光が発して描かれていた。
十字架を見上げながら両手はクロスに、右手が手にしていた赤色のハート型
の物体とは・・・。心臓だ。
あるいはマルティン・ルターの薔薇と十字架の紋章だろうか。
紋章の中央には赤いハートと黒い十字架が描かれているからだ。
thorn and rose Ring(ゾーンアンドローズリング)は、棘とバラのリングの
中央には三角形の宝石が望む。
外側にカーブしたもう一つの三角形の先端部分が、サソリの毒針にも見えてしまう。
そのサソリとは、ミトラスが牡牛を捉え、その牡牛を地面から攻撃するサソリのことだ。

-あとがき-
やはり、三角形のデザインやバラや棘を目にする度にイルミナティの存在を感じます。

そして、才能のある人はイルミナティに取り込まれてしまったり、イルミナティの血筋だということがほとんどなんですよね。

ホイットニー・ヒューストンやマライヤ・キャリーもそうかと思います。

ピーター・セテラ(Peter Cetera)は映画ベストキッド2で「Glory of love」や製作費数十億円と言われる竹取物語の「Stay With Me」の主題歌を歌っています。

Chicago関連のYou tube動画「Will You Still Love Me?-Final Fantasy X AMV」の終盤では、山よりも高い場所に飾られた大きな翼を広げている金の鳥の像が印象深かったです。

金の鳥の像が大きな翼を広げているのですが、ゾロアスター教のプラヴァシを想い出します。あるいは、火の鳥でしょうか。

有名スターのプロモーションビデオなどを通し、一定のシンボルマークを目にする度にイルミナティの存在を感じてしまうんですよね。

2018年 7月30日

キャンドルライトとサマーキャンドル


その大学は、曹洞宗のお坊さんを目指している人が通っている。
そんなイメージがあった。禅の教えがスピリチュアルに繋がる。

スピリチュアル関連 セレスティン予言への誘い。
関連 インディアンとペヨーテの儀式。
関連 Under the wheelをもう一度。
関連 灰色のオフィスの残像とDestinyの歌

シンボルマークは頭文字のKだった。
シンガーソングライターの久保田利伸もその大学のOBだったからだ。
彼の歌声やパフォーマンスは、他にはないファンキーな魅力があった。
日本人離れしたリズム感とその歌唱力の高さに圧倒された。
「Body-cation」という曲もブラックミュージック風だ。
男女の恋の始まりを連想するような明るくてポップな曲調だった。

歌詞の「キャンドルライト」が気になった。
他にも「キャンドルライト」の歌詞が含まれている曲があった。
チェッカーズのジュリアに傷心だ。

このキャンドルライトとは、バースデーケーキなどホールケーキに立てる
ストライプや原色で彩られた数字型や細長いキャンドルのことだろうか。
そうではない気がした。

お坊さんと密接なお線香に火を点す時に立てられたろうそくだろうか。

結婚式のキャンドルサービスか。杏里の「SUMMER CANDLES」という曲もあった。
透明感のある声で伸びやかで感動的な楽曲だ。
これは可能性もなくはないが、残念ながら男の人が女の人に最初から
結婚願望を持つことは無いに等しい。
何しろ今の時代、人々の愛は冷え切ってしまっているのだから・・・。
昨今のニュースにしろ離婚の話題があとをたたない。
愛がないのだから男女が年月を重ねずに別れてしまうのも当然だろう。
自分も相手も愛を知らないのだから。
傷つけあい喧嘩したりして最後には破局を迎えてしまう。

他にもHAPPYENDでふられたいという曲がとても好きだった。
気が付くと黒人バックダンサーとダンサブルに歌う姿に魅了されていた。
JTから発売されたSametimeのタバコのCMソングだった。
しかし、人間がタバコを吸うと脳にも悪影響だし、霊的な害を受けてしまう
のでやはり避けたほうが無難だ。

他にも軽井沢で「サマーキャンドル」のイベントがあった。
8月に開催されていた。
大きな窓が望む三角形の建物。窓も建物も三角だ。
それが星野リゾートの軽井沢高原教会だった。
数え切れないほどのキャンドルが、野外の夜の世界に散りばめられていた。

一時期、事務系のルーティンワークから解放されたくてアロマキャンドルを
ダイニングテーブルに置いていたことがあった。
薄紫色でラベンダーの香りを放つグラス型のアロマキャンドルだった。
せっかく購入したものの、煙や香りが部屋に残る為、徐々に負担になっていった。
リラックスするどころか、途中で処分してしまったのだ。

終わりに・・・。
ジュリアに傷心でのキャンドルライトは、silent nightやキャロルと書かれています。クリスマスや教会に関係しているようでした。

またキャロルは、クリスマスキャロルのコヴェントリー・キャロルでしょうか。ここでは幼児虐殺が関係しています。

魔術をする際にキャンドルを使うこともあるため、アロマキャンドルも悪魔的です。

また港区芝公園の増上寺では6月16日に100万人のキャンドルナイト@増上寺2018が開催されたようです。

本尊も浄土宗も悪魔崇拝に繋がります。

関連 灰色のオフィスの残像とDestinyの歌

「でんきを消してスローな夜を」と勧めていますが、蚊に刺されたり蒸し暑さが増すような気がするのですが・・・。

そして、軽井沢高原教会は三角形でフリーメイソンを意味しますし建物もピラミッドに見えます。

ピラミッド関連 月のピラミッドの生贄とコカ・コーラの発案者

こちらもどうぞ 離婚率の増加や家族間の犯罪について。

2018年 7月25日

自分を苦しめる存在と登り棒


自分がいじめられ、激しい怒りを男性からぶつけられたことがあった。
ある女性から、揚げ足をとられ、からかわれ気分を害したこともあった。
その風貌は色白で小柄。競争心が見え隠れした女性だった。
時折見せる愛くるしい笑顔が印象深かった。そんな人だった。

-登り棒-
遠い昔、学校の校庭の登り棒を必死で上っていた自分がいた。
赤、青、黄色の三色だ。まるで支配者の色を表していたかのようだ。
そしてその数十年後、あるCMに心奪われたことがあった。
1本のロープに必死でしがみ付いて上り続けている美しい女性だった。
ドレス姿に足元は裸足かハイヒールだっただろうか。
魅惑的で輝いた女性に見えたのだと思う。
何となくだが、学校の登り棒にしても天国に憧れて必死で上ってたの
かも知れないし、そのドレス姿の女性にしてもそれと重なったのかも
知れない。

-MARIA(マリア)-
マリアという楽曲は、この世にはたくさん存在していました。

すぐさま思い出すのが黒夢と浜崎あゆみが歌うマリアでした。それをどこかで耳にしていたんですよね。

レンタルショップ店やCD販売店なのか娯楽施設で流れてた有線放送なのかマスコミなのか定かではないですが、黒夢のMARIAを耳にしていた時期がありました。

それが黒夢が1998年にリリースしていた「MARIA(マリア)」です。

歌詞を追ってみるとグリム童話の「マリアの子ども」を想起させます。

2018年 7月23日

黒のサマーバックと顔が描かれた赤い壺と海猿


昔の夏の記憶・・・。
その日の水着は、前もって用意していた。行きつけのデパートで購入していた。
デパートの水着売り場のフロアのエスカレーター付近でハイレグ型のワンピースの
水着を身に着けていたマネキンが気になった。
さらに水着売り場に進むと、原色や蛍光色のレースクイーンが身に着けるような
派手な色彩と露出度の高いデザインの水着に目を奪われた。
前日の夜には、マニキュアを選ぶ時も一風変わった色を選んだ。
それを大ざっぱに手と足の指先一本一本に塗り重ねていった。
そうして海に行く日がやってきた。
水着やバスタオルやらを黒のリュック型のサマーバックにつめこみ、
ひたすら車を走らせ海へと向かった。
海に到着して靴を脱ぎ、ビーチサンダルに履き替え砂浜に向かい、シートを
敷いて横たわったり、砂浜でビーチバレーをして過ごした。
暑くなったら波打ち際に行き、浅瀬の当たりで日焼けした肌を冷やし、
寄せては返す波をただひたすら感じていた。
色々な海に行ったが、その黒のリュック型のサマーバックを持って出かける時、
おそらくそんな感じでそんな時間の過ごし方をしていた。
出発も遅く、半日ビーチで過ごして夕方に帰る。そんな感じだった。
そんな時代だった気がした。

ここからは、昔に見たTVの話題に移ります。

顔の描かれた赤い壺。子どもの頃みていたTV漫画の一つのハクション大魔王にでてくるそれです。

2013年にはスペシャルドラマも放映されるほど人気だったようです。

大魔王のその顔は、なすびのような輪郭に赤鼻とたらこ唇。

一度見れば忘れないそんなインパクトが強いキャラクターでした。

第一話のオープニング動画を見てみたのですが、そのうちの黒板に書かれていた数字がとても気になりました。

その数字とは、チョークで書かれた3+3=?でした。

?は6ですからサタンを表す数字です。そして大魔王の髭も共通しているのです。

髭の先端が丸まっているため、見ようによっては数字の6に見えるんですよね。

続いて海上保安官の救命救助をテーマに2002年ころから人気を博してきたドラマや映画でおなじみの「海猿」。

右肩上がりで人気が上昇していったそんなイメージがありました。

そんな中フジテレビとの関係を断ち、和解はしたものの作者(佐藤秀峰)は、2013年病気で倒れて緊急入院。その不審な動きに驚きを隠しきれません。

2014年、表紙を描いていた堀江貴文の小説の不正疑惑などマスコミ界の嘘偽りが浮き彫りになった様子を感じました。

やはり最後にはマスコミの嘘や偽善に辿りついてしまうんですよね。

マスコミ関連記事 マスコミ離れと夏の憂鬱。

2018年 7月22日

月のピラミッドの生贄とコカ・コーラの発案者

月のピラミッドは死のピラミッドとも呼ばれ、山のイミテーションとして造られ生贄の儀式として利用されてきたとされています。

メキシコ・テオティワカンの画像を見た時、恐怖政治をひたすら行ってきた歴史や背景を感じる人もいるのではないでしょうか。

日影が存在しない環境も、エジプトのピラミッドや山自体がピラミッドである日本に似ていると感じました。

関連 キャンドルライトとサマーキャンドル

多神教であり人身御供の痕跡もあるため、そこから凄惨な文化や歴史を感じるほかありませんでした。そしてモレクを思い起こします。

人身御供関連 真夏の昼下がりの三日間とモレク。

まさに血の祭壇であり、想像するのさえ苦痛を感じてしまいました。

ホンジュラスのコパンの偉大な太陽、初代王キニチ・ヤシュ・クック・モは、そんなテオティワカンと何らかの関係があったともいわれています。

祭壇で神々(サタン)の為に人々の血を流し、内臓を捧げるという行為が当時の人たちからすると英雄化されていたのでしょうが、おどろおどろしさを感じてしまいました。

話題は変わりますが、コカ・コーラのデザインロゴに666の数字が隠されていたのを皆さんは、ご存じでしょうか。

2016年には、コカ・コーラ仏工場でコンテナから大量のコカインが見つかったとされる報道が流れました。

これは、コーラの原材料にコカイン成分が使われていたことを表しているのでしょうか。

発案者のジョン・ペンバートンによると、初期の頃は少量のコカの葉を使い、コーラにコカイン成分を含ませていたとされています。

ところが、現在では代わりにカフェインを取り入れたそうですが実際にはどうなのでしょうか。

7Xという独自の風味料も気になるのですが、やはり7という数字にX=クロス(十字架)を組み合わせていますが何を表すのでしょうか。

味のついた炭酸飲料は体に悪い化学調味料がたくさん入っているので避けた方がいいでしょう。

人工的に作られた化学調味料や食品添加物は、私達にとって何の栄養にもならないので、栄養のある食べ物を食べたほうがいいのです。

サバトでは魔女が井戸の水に毒を混ぜたと言われていますが、現代では食品や飲料に毒を混ぜているといっても過言ではありません。

喉越しが爽やかだとか耳触りのいいことを言っては大々的にCMを流し、セールスをしている手法には注意が必要です。

2018年 7月21日

灰色のオフィスの残像とDestinyの歌


その会社を色で表すとすれば灰色だった。残像がぼんやりと残っている。
そして、朝出社をすると窓から立ち込める朝日の光がとても眩しかった。
オフィスのドアを開けてから感じる空気感は、お世辞にもいいものでは
なかった。
特にお盆近くになるとそれを尚更感じるものとなった。
窓を開けて換気することもそうそう出来なかったので、前日のタバコの
残り香を感じることも多々あった。
当時は空気清浄器さえ普及していなかったのだから。
男の上司ばかりに囲まれていたせいもあるが、おそらく一人を除いては
皆タバコを吹かしていたと思う。
今のように禁煙・分煙制度は存在していなかった。
灰皿に吸い殻がたまる度に洗っていた記憶も残っている。
事務仕事もあるのだが、雑用も多かったのだ。
そして、天井に目をやるとそこには三社造りのような神棚があった。
どんなお札が祭られていたのかは覚えていないが、時々お供えの水を
変えたり、白い陶器性の榊立ての水を変え新しい榊を供えたりした。
小型の熱帯魚も飼育されていて、その大型の水槽もたまに掃除したりした。

「Destiny」という曲に出会った時、繰り返しその曲を聴くことがあった。
その瞬間、ずっと追い求めていたものを掴めるような気がしたのだ。
強烈に心惹かれたことがあった。
それは、ユーミンとマイラバとZero7だった。
My Little Loverの「Destiny」はその歌詞に物凄く惹かれてしまった。
あなたを感じたなら・・・涙が溢れることたった今・・・のこのフレーズだ。
異性に対してのラブソングだと思う。
しかし、自分の場合はまたちょっと違うものに感じてしまったのだ。
これに関しては話が長く、このボリュームではおさめきれないくらいだ。
そして、Zero7の「Destiny」は、退廃的な雰囲気の曲だった。
ずっとラブソングだと思っていた。
だが、月に関しての箇所がどうしても気になってしまう。
それも下弦の月から新月の月が強調されているようだった。

歌詞の下弦の月から新月の変化が、やはり魔術やスピリチュアルを感じてしまったのですよね。

スピリチュアル関連 セレスティン予言への誘い。
関連 インディアンとペヨーテの儀式。
関連 Under the wheelをもう一度。

2018年 7月20日

ラケルとぶどうと愛


宮益坂を歩いている時、たいがい食事をとる店はラケルだった。
そこで出されるオリジナルのパンと水とオムレツが好きだった。
テーブルに設置されたボトルの水をグラスに注ぐのも楽しみだったのだ。

数日後、宮益坂の通りにあるファストフード店に近づいた時、そこから
流れ出すある曲に心惹かれてしまった。
その曲は、稲垣潤一の「April」。
前々から、彼のアルバムを何度も聞いていたから遠くからでもその声だと
分かった。
関連する作詞では、本人はもちろんのこと他にも書いている作詞家がいた
が特に秋元康が多かった。
数ある楽曲のなかでも1・2・3という曲が気になった。
なぜかというと、そこからJAL123便墜落事故やひふみ祝詞を思い起こして
しまうからだ。
謎に包まれた衝撃的な事故だったから印象に残っていた。
だが、その店には結局一度も立ち寄ることはなかった。
「April」が流れている時、むしろ足早に駅へと向かってしまったのだ。

その数年後、今度はスペイン坂の界隈で遅めの昼食をとりながらTVに目を
やると、そこには明石家さんまと大竹しのぶの離婚報道が流れていた。
しばらく唖然とした。
周囲を見渡すと、男性も女性もTVに釘づけだったのにも驚いてしまった。
そして、彼は偶然にもJAL123便墜落事故から逃れていた。これも不思議だった。

あの小粒で甘酸っぱいデラウェアのぶどうは、この日本でよく流通してる。
旬の時期になると、お店に並んでるのを見かけるが、皮がやわらかくて
食べやすいから、ついつい止まらなくなってしまうのだった。

-あとがき-
歌詞を読み返してみると「April」では異性への熱が冷めて恋が終わってしまったり「1・2・3」では人に傷つけられて孤独を感じてしまう場面が見受けられます。

例えば、大恋愛を経験したり、有名人のビックカップルが結婚したとしてもそこに永遠性はなく人間の愛には限界があることに気が付きます。

このように人間の愛というのは、儚いものです。いつかは、失われます。

どんなに異性や大金を手に入れたとしても真の愛を掴むことは不可能だからです。

人々の心が満たされず、絶えず怒りの感情を抱きイライラしている時、やはりそこには愛は存在していません。

幼な心に、親や兄弟を見ながら人間には真の愛は存在しないのだと痛感してしまったのですが、これは友達や同僚に対しても同じでした。

親からもまともに愛が得られず、友達を求め、異性を求めてもどこにも存在していなかったのです。

もちろん、なかには思いやりのある人もいることでしょう。

しかし、親が争いあったり、自分が人を傷つけたりまた異性に傷つけられたり、会社などで嫌がらせされるのであれば、人はやはり嫌悪感を抱くしかありません。

恋人や友達や同僚にしても、誰かが必ず辛い思いをしてしまったり、悪者扱いされてしまう。それではやはり苦しいだけです。

2018年 7月19日

天城越えと浄蓮寺。


社交的で物怖じしない白い肌に栗色のショートヘアのM。
細身で手元の指輪が輝いて見えた友達思いのK。
丸味を帯びた目元と頬や口元からほのかな温かみさえ感じるY。
皆独身だが、Kだけはすぐに結婚しそうな予感がした。
女が複数集まれば、ある種の嫉妬心やら争いが起こりそうなものだが決し
てそんなことはなかった。
互いに車を出し合っては、よく仕事の合間にドライブに出かけたものだ。
車を持ってた私は、彼女達の足になっていたのも事実だった。
時に澄んだ青空の下、太陽の光を眩しいくらいに浴びて湾岸沿いの道を
走り続けることもあった。
どこか行きたい所を提案した時も大抵いい返事がかえってきた。
表立って彼女達に否定されることはなかったのだ。
だから、ある意味気楽だった。
でも本心では彼女達から嫌悪されていたのかも知れないけど…。
あくる夜、彼女達から地元のカラオケに誘われた。
まるでコンテナのような形状をした色鮮やかな印象のカラオケBOXだった。
それほど待たずして部屋に入り、メニューを片手に一通り目を通したあと
軽食やソフトドリンクなどを決め、Mがフロントに電話を入れる。
その間クーラーの温度設定や照明の明暗を調整し、分厚い本を膝に抱え
選曲予約を入れていくのだった。
中でも印象的だったのが、Yが歌う石川さゆりの「天城越え」だった。
実際、この曲は一度聞くと忘れられないくらいインパクトがある。
聞いてる者までもが、その妖艶で念のような女の情感を受けてしまう。
「浄蓮の滝」や「山が燃える」の歌詞からも強烈な何かを感じた。

当時の事を思い浮かべながら、今回ブログを書いてみました。

ただカラオケへはもう行かないほうがいいと思いました。

伊豆や静岡へは車で一度、その約十年後に踊り子号で訪れたことがあります。観光地ですが、もしかして特別な土地なのではないかと感じました。

例えば、天城山でも不可解な心中事件が起こっています。

大学生の大久保武道(当時20歳)と、同級生の愛新覚羅慧生(あいしんかくらえいせい当時19歳)が、拳銃で頭部を撃ち死体が見つかっています。1957年12月10日。

今はないですが「浄蓮の滝」のそばに浄蓮寺が建っていたようですし。可能性としては、浄土宗か真言宗ではなかろうかと推測しますが…。

真言宗の火まつりや五山送り火を彷彿させるのが「山が燃える」の歌詞です。そして、ゾロアスター教の火を通してアフラ・マツダを崇めているシーンを思い出します。

そしてあるお店に入った時、内装やそこに飾られたものが全体的にオリエンタル調でエキゾチックだったのですが、これこそペルシャ風でソロアスター的だったのだと後々気が付いたのでした。

2018年 7月17日

真夏の昼下がりの三日間とモレク。

それは、1986年の8月の出来事だったと思う。
2016年に一度は書いたが、削除した記事を今日書いてみようと思う。
1985年の春、その部に入部した。
自分で選択し好きで入ったにも関わらず、夏場の部活動はあまり良いものではなかった。
イヤ、きっと好きで入ったと思い込むようにしていたのだろう。
本心は…といえば、二つの部のうちどちらにするか選択に迷いを感じていたころ、勧誘して
きたある一人の女の先輩がとても印象的で驚いてしまう。
艶やかでサラサラとした短めの髪型と黒色の瞳、小麦色に日焼けし引き締まった姿の先輩が
頭から離れなくなってしまった。自分とは正反対だったのだ。
美しい瞳を持つその先輩に強力に惹かれてしまった。
憧れに近い感情だった。とても魅力を感じたのだ。
しかも、たった二歳ほどしか変わらないその先輩が、かなり大人に見えた。
まるで暗い感覚から解放してくれるようなある種の救世主にさえ見えたのだ。
それで最終的にその部活に決めてしまった。
その前にも二つほど数日間それぞれ仮入部したのだが、残念ながらあまりいい印象はなかった。
失礼かもしれないが、そこで魅力を感じる人も誰一人いなかった。
しかし、その部に誘ってくれた友達だけは光っていた。
色白だけど肩や体が丈夫でしっかりしている様子が感じられ、笑顔が素敵な子だった。
当然、彼女は異性からも同性からも人気を獲得していた。
ある一人の男子から強烈に愛されていたことも知っている。
1985年はそんな感じで過ぎていった。

1986年の夏、暑い中どんなに努力しても報われず、ただただ焦りと疲弊の毎日を繰り返し、早く
この暑さが過ぎ去ればいいのにと心の中で想いにふけていった。
でも、本当はその出来事が決して無駄な出来事ではなくむしろ貴重な出来事だったのだと数十年
たってからようやく理解することができたのだが。
このことがなければ、こうしてパソコンに向かって過去の出来事を文章化して打ち込むことも
出来なかったからだ。
その夏、午前中はいつも通り部活に励み、伯母さんの家で昼食をとった後、いつも寝起きしていた
叔父さんの家に移動し、気が付けば布団の上で眠りに落ちていた。
その部屋は、午後になると西日が差し込み、ブラインドを外側に傾けても無風に近いため非常に
蒸し暑く、不快さと肉体疲労のためとても起きていられるものではなかったのだ。
そんな苦痛の中、無意識のうちに引き起こされたのは、金縛りだった。
しかも、三日間立て続けに起きたのだ。想像を絶するほど執拗に。
どの日も真夏の昼下がりに家で疲れきって一人で寝てる時に起こったのだ。
はっきり覚えているのは、三日目の昼下がりだけは強く怒りを発したことだった。
しかし、一日目や二日目の昼下がりは、意味も分からずどうすることも出来なかった。
それは、明らかに自分の命を今にも奪おうとしている存在だった。それも霊的な存在だ。
何故か分からないが、そこから強烈な憎しみと恨みを感じた。
まるで女の強烈な嫉妬心がさらに膨らんで今にも爆発しそうな様子だったのだ。
何度か全身の力を振り絞って体を揺り動かして抵抗しようと試みたが、縄で全身を締められている
ようで身動きがとれなかった。
自分よりも力の強い霊的な存在が、仰向けになって無防備に寝ていた体にしがみつき、上から圧迫
されどうすることも出来なかったのだ。
そして、最終的には首を絞められた。その瞬間物凄い殺意を感じたのだ。
このままでは命が奪われるかと思い、100%力を込めて追い出そうと決心し怒鳴った。
すると、三日間私を奪おうとした老婆の霊はとうとう私の体から離れ去り消え入ってしまった。
何処から来て何処へいったのかは分からなかった。
それと似たような経験を2016年の10月の夜にも経験していくのだった。

-あとがき-
上記の出来事が後々になって気になりだし、数年後に金縛りについて何度か調べたのですが
本当に納得する答えに辿りつくことはありませんでした。

生きていると、知らず知らずのうちに人を傷つけたり、恨まれたり、嫉妬されたりすることも
あることでしょう。

しかし、そういった感情が人間からではなく、霊から体感したんですよね。それをはっきりと。

人間が住んでいる地上界以外にも天や地獄という霊界が存在してるということが分かった時、納得
できたんですよね。

モレクは人身御供の悪魔といわれていて、世界中でも人身御供が存在しており、日本でも神
(サタン)に人柱や石の蔵などを生贄として捧げてきた歴史があるといわれているのです。
人身御供関連 月のピラミッドの生贄とコカ・コーラの発案者

2018年 7月13日

離婚率の増加や家族間の犯罪について。

総務省統計局のデータによると、日本の人口は2018年(平成30年)6月1日現在、1億2652万人といわれており、減少傾向にあります。

2000年から2008年の離婚件数では、おおよそ20万組もの夫婦が協議離婚や裁判などを経て離婚していると考えられ、上昇の一途を辿っています。(厚生労働省の離婚件数による)

この離婚率はどういうことを示しているのでしょうか。

本来人間は愛を求めて恋愛・結婚をします。しかしそこには愛が存在していないため本当の平和を感じることが出来ないのです。

例えば結婚記念日や誕生日など二人で甘い時間を過ごそうとしてもだんだんと義務的、重荷にすら感じてしまう人も少なくないのではないでしょうか。

一体どうすれば夫婦仲が良くなるのかとあれこれ模索しても上手くいくことはまれで、関係がこじれてしまう場合もあるのです。

人によっては、丹念に目元を強調したメイクでイメージを変えたり、香水を手首や耳元につけて印象づけたり、女性らしさに溢れたファッションで外見を装ったりもします。

しかし、どんなに努力しても出会ったころの熱い思いやときめきを取り戻せず、思うように男性を操作しようとしても出来ずに徐々にむなしさを感じてしまいます。

挙句の果てには、怒りや憎しみ、嫌悪感や倦怠感すら抱き始めることも無きにしも非ずなのです。

場合によっては他の異性に恋心を抱き、その満たされない思いを満たそうとしてじわじわと浮気や不倫に走って溺れてしまうケースも。

男性は、基本的には名誉やお金を本能的に追い求めて生きています。

そのため、妻から愛を求められても思うように愛せず理解に苦しみどう扱っていいか分からなくなってしまうのです。

妻は妻で夫から思うように愛を得られず、物足りなさを感じてしまうので、夫婦間には愛の温度差が生じ、反発や亀裂が生じます。

女性は愛されていないと生きていけず、そんな夫を見ては自分は愛されていない、駄目だといっては劣等感を感じ、いじけたりします。

猜疑心や嫉妬心を抱いたり、または夫に対して徐々に不満や不平をこぼすようになっていくのです。

男と女が一生かけて深い愛を成すことは本当に難しく、男女が互いに愛し合い持続させることは不可能に近いからです。

昔は、女性も専業主婦だったり姑と同居して二世帯で暮らしたりと、家にいることが当たり前で、例え姑や夫に不満を感じていても、死ぬまで我慢して一生を送る人も多かったことでしょう。

しかし、現代では核家族化や少子化が進み、そういった面倒なしがらみに縛られることがなくなったこともあって、簡単に離婚できるようになったことも事実です。

また現代人は、親からまともに愛されてこなかったり、親自身も親から愛されておらず離婚に至ってしまう点もあるのだと思います。

例えば、ニュースを見ていても家族間で傷つけあったり憎しみあったり虐待したりして、家族で争いあっているケースも少なくありません。

最近は、親が子どもに対して友達のように接してコミュニケーションをとっていたり、子どもをペット化して育てている親も増えています。

なかには自分のストレスを子どもにぶつけ、しつけと称しては激しい怒りで攻め立てたり怖がらせたりする父親や母親もいることでしょう。

これらの多くは、愛を知らずに生きてきて、愛が存在していることを心から信じられないことも一つの要因なんだと思います。

そして世の中のほとんどが、家族愛、異性の愛、友人愛こそが人間にとっての最大の幸せだと語ってますが、そこからは本当の平和は得られないのです

それでも、中には家族愛、異性の愛、友人愛で幸せを感じている人もいるかも知れません。

一方で愛が冷え切っているのを表すかのように、今家族間での犯罪がニュースで取り沙汰されています。

心が満たされて愛に満たされている時、人は誰かの存在を脅かしたり、家族間で犯罪を犯すこともなく平和に生きられます。

現代は戦争や暴力こそ表立ってやることは少なくなりましたが、心に不安や憎しみ、嫉妬心を知らず知らず抱えて生きている人が少なくありません。

心を間違った方向に使うとやはり苦しみを感じてしまうからです。

喜びや希望を抱くことはおろか、精神病を患ったり、人によっては肉体が病気になってしまったり、場合によっては仕事や家族をも失ってしまうこともあるのかも知れません。

そして、世の中のありとあらゆる情報は愛の様な目に見えないものよりも、目に見える物を手に入れることこそ幸せだと洗脳されているのです。

2018年 7月12日