ラケルとぶどうと愛


宮益坂を歩いている時、たいがい食事をとる店はラケルだった。
そこで出されるオリジナルのパンと水とオムレツが好きだった。
テーブルに設置されたボトルの水をグラスに注ぐのも楽しみだったのだ。

数日後、宮益坂の通りにあるファストフード店に近づいた時、そこから
流れ出すある曲に心惹かれてしまった。
その曲は、稲垣潤一の「April」。
前々から、彼のアルバムを何度も聞いていたから遠くからでもその声だと
分かった。
関連する作詞では、本人はもちろんのこと他にも書いている作詞家がいた
が特に秋元康が多かった。
数ある楽曲のなかでも1・2・3という曲が気になった。
なぜかというと、そこからJAL123便墜落事故やひふみ祝詞を思い起こして
しまうからだ。
謎に包まれた衝撃的な事故だったから印象に残っていた。
だが、その店には結局一度も立ち寄ることはなかった。
「April」が流れている時、むしろ足早に駅へと向かってしまったのだ。

その数年後、今度はスペイン坂の界隈で遅めの昼食をとりながらTVに目を
やると、そこには明石家さんまと大竹しのぶの離婚報道が流れていた。
しばらく唖然とした。
周囲を見渡すと、男性も女性もTVに釘づけだったのにも驚いてしまった。
そして、彼は偶然にもJAL123便墜落事故から逃れていた。これも不思議だった。

あの小粒で甘酸っぱいデラウェアのぶどうは、この日本でよく流通してる。
旬の時期になると、お店に並んでるのを見かけるが、皮がやわらかくて
食べやすいから、ついつい止まらなくなってしまうのだった。

-あとがき-
歌詞を読み返してみると「April」では異性への熱が冷めて恋が終わってしまったり「1・2・3」では人に傷つけられて孤独を感じてしまう場面が見受けられます。

例えば、大恋愛を経験したり、有名人のビックカップルが結婚したとしてもそこに永遠性はなく人間の愛には限界があることに気が付きます。

このように人間の愛というのは、儚いものです。いつかは、失われます。

どんなに異性や大金を手に入れたとしても真の愛を掴むことは不可能だからです。

人々の心が満たされず、絶えず怒りの感情を抱きイライラしている時、やはりそこには愛は存在していません。

幼な心に、親や兄弟を見ながら人間には真の愛は存在しないのだと痛感してしまったのですが、これは友達や同僚に対しても同じでした。

親からもまともに愛が得られず、友達を求め、異性を求めてもどこにも存在していなかったのです。

もちろん、なかには思いやりのある人もいることでしょう。

しかし、親が争いあったり、自分が人を傷つけたりまた異性に傷つけられたり、会社などで嫌がらせされるのであれば、人はやはり嫌悪感を抱くしかありません。

恋人や友達や同僚にしても、誰かが必ず辛い思いをしてしまったり、悪者扱いされてしまう。それではやはり苦しいだけです。

2018年 7月19日