マスコミ離れと夏の憂鬱。

今まで夢中になっていたマスコミなどの情報機関とは、一体何だったのだろうと思い返してみました。

保育園児の頃や小学生時代は、夕方放映していたTVアニメを見て苦しめられてる少女や対象を目にしては、よく涙を流していたんですよね。

みなしごとか、母親がいないアニメを見ては悲しみ、暗い気分に浸り続けていました。

主人公が幸せを感じていると、とにかく悪人が現れ邪魔され争いが始まるという図式に触発されることも少なくなかったです。

そして、改めて考えてみるとあの時は将来のことをアニメを通して先読みしてたんだなとも感じられました。

また、シンデレラという絵本を親に買って貰い、将来王子様に出会って素敵なドレスを着てそんな人と結婚できたらなと甘い幻想を抱いたりして。洗脳されていたんですよね。

でも、やっぱり意地悪な人が出てきて嫌な気分に陥ってしまいました。不幸になるのが当たり前で喜びがどんどん消え失せてしまうのは、悲しかったです。

ああ自分は、絵本やTVアニメの主人公と何ら変わらなかったんだなと。

その後は、漫才やお笑いブームにつられ、学校にいっては友達の前で物まねをしては笑いをとっていたんです。引っ越しをする以前までは。

しかし、引っ越しをしてからは、全く状況が変わりました。

引っ越し後は、笑いをとれるどころか、もうこんなことしたくないなと感じるようになったんですよね。

それからは、TVアニメも見なくなり、時代劇を少し見たり、歌番組やFMラジオのカウントダウンなどに流れていきました。

そういう陰湿で暗いのを目にすることから次第に離れ、中学校時代は音楽に魅了され、音楽を通じて友達と仲良くなっていくことも増えていきました。

ただ夏休み中だけは、とても憂鬱でした。日本の蒸し暑さが苦手だったんです。その時は、何でそんなに憂鬱なのか分からなかったんですよね。

例えば水泳のクラブでは、特訓をし嫌々やっていたので最終的には大会にも出ず、好きで入った部活動も暑い中、水も一滴も飲めずに、鼻血をだし苦しみを感じていました。

でも、夏の憂鬱な気分が単にクラブや部活動中の苦痛や気候的なものから引き起こされていただけではなかったんだと今は思えるんですよね。

この世には霊界というものが存在していて、神様やサタンが実際に存在していて、サタンや悪霊から悪影響を多大に受けていたからだったんだと。今は思えるんです。

2018年 6月 4日

心が苦しい時に祈り続ける。

以前、二人の人に苦しめられ、相手に訴えてもどうすることも出来ず、その事について神様に祈っていた時期がありました。

関連 屈辱さえ吹き飛ばしてしまう

その後、それとはまた別で周囲から苦しめられることが度々あり、その事は以前よりももっと長い間祈り続けていたことがありました。

ある時、周囲がバタバタし始め、何かあったのかな?どうしたんだろうと感じ、そんな矢先、そのうちの一人の人が離れていくことがありました。

この問題については、無理をして自分から何かアクションを起こさない限り解決できないだろうなとずっと思っていたんです。

しかし、他の人からも苦痛を受けていたので、完全にはすっきりせず心のうちは、モヤモヤしてたままでした。

その三か月後、皆が離れて行きました。すると本当に平安だと感じるようになったんです。心の状態が以前とは全く違いました。

もちろん、全ての問題が解決したというのではなく、今も気になることは抱えていますし、これからも色々出てくるとは思っています。

それでも、このように人にはいいづらく、人からは見えにくいことも神様に祈りを捧げ、心の内を明かせることをありがたく感じました。

また、断食をした後に食事をとり飲み物を飲んだ時、やっぱり神様が与えてくださる食材や食べ物は美味しいし、ありがたいと感謝に変わることが増えていきました。

祈りも最初のころは、自分の祈りばかりでしたが、大きな祈りこそ大切なのかと感じ、この世界が神様の愛の世界に変わっていくよう祈っています。

今は分からないことでも、見えない神様に祈りを捧げることは、壮大でロマンあふれる時間を過ごしていたんだと後になって気づくのかもしれないと感じました。

2018年 5月25日

ある道でみた光景。

12月に入り、ぐんと肌寒さが身に染みた頃、太陽の温かさや有りがたさを痛いほど感じる事がありました。その暖かな光が、とても心地よかったんですよね。

夜になって冬空に浮かんだ満月を見た時、そこからはっきりとした輝きや存在感を感じ、ああ綺麗だなと感動しました。

太陽や月、大空に囲まれて生きていることがありがたく嬉しく思えてきました。

あなたは、包容力があるタイプですねといった表現を人に対していうことがありますが、神様ほど包容力がある存在は、他にないのではと感じています。

包容力という言葉自体、とても安心感を抱きます。本当の愛とは、厳しいけれども包み込んで下さるものかなと思えてきたんですよね。

人間の包容力とは、比べ物にならないほど偉大なレベルなのではと感じられました。

先日、ある道にさしかかった時、三種類の鳥に出会いました。

その中で一番小さい鳥だったのが、すずめでした。こじんまりとしていて、丸味ががった姿でトントン飛び跳ねては、ちゅんちゅん鳴いていました。

中ぐらいの鳥もいました。そして、一番大きい鳥がカラスでした。どっしりと構えていて、カラスだけは逃げる様子はありませんでした。

同じ鳥でもこんなにも性質が違って、姿かたちや色合いが違うのだなと感じました。これは、人間も同じなんだなと。皆それぞれ違うんですよね。

それぞれ個性や才能があって、それぞれ違いがあって存在しているのだと感じました。

周囲を見渡すと数え切れない万物に囲まれ、それらを創造してくださった神様に感謝したいと感じました。

2017年12月05日19:00

目の前にあるものを変えてみる。

先日、身近なものに目が行き届いていなかったことに気付き、買い替えたいと強く切望する出来事がありました。

それは、毎日使っていたマグカップでした。ディズニーのデザインでした。「星に願いを」という歌詞を読むとその本質が伝わってきます。

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同じく時計もでした。それらのものをシンプルな物に変えてみたいと思えたんですよね。

今まで囲まれていたあらゆる物は、色もデザインもにぎやかだけど雑然としていたのだと感じました。カラフルなもの、柄物、キャラクターに囲まれていたんですよね。

生活に追われ、家事が苦痛となり汚れにも鈍感になっていき、自然と掃除も怠り食生活も乱れていっていました。

そんな中、神様に出会い賛美歌に出会い、人間にとって害になるものを避け、良い考えを取り入れるようになれたことはありがたいことでした。

家事を嫌々やるのではなく、やった後に心からすっきり出来て、結果的にやって良かったと思えたんですよね。

祝祭の日にレストランで見た白く輝く食器が、ふと頭に浮かんできて自分もあんな風に清潔な心の状態になりたいと憧れの思いを抱きました。

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真っ白なお皿に、色とりどりの食材が並んでいたのですが、お皿も食材も互いに引きたてられていたのを思い出したんですよね。それが、本来の世界だったのかと。

実際、白い食器はケーキ皿しか持っていなかったんですよね。今回白いマグカップが欲しくなり、お店で物色してたのですが、底のほこりが気になって断念しました。

その代わりに白に近いベージュ色で、周り全体を削っている型のマグカップを見つけ購入しました。

その次の店でも、白のマグカップを見つけましたが、やはり底の汚れが気になりました。これは、自分の心の状態を表しているのだと思えました。もっと心を清めていきたいと。

賛美歌は本当に素晴らしいです。理由が分からずに辛い時、苦しい時は、賛美歌や聖書に触れてみて下さい。

2017年11月23日18:00

あの日印象に残った世界。

その日の午前中は、予想していたよりも曇り空で冷たい空気を感じたので、上着を薄手のものにするか厚手のものにするか迷っていました。

こういう時、心の状態は隠せないと感じました。マタイの福音書に書かれている思い悩むなという聖句を思い出しました。

普段と違う服装や靴を身にまとい、出発しました。曇が広がった空から次第に太陽の光が差し込んできました。徐々に輝きが増し加わっていき、強い太陽光線を体に感じ驚きました。

澄んだ青空と11月とは思えないほどのダイナミックな太陽の光を浴び、その日は神様とのお祝いの日だったのでもしかして熱い熱情の神様の感覚を感じていたのかなとも思えました。

青空や雲や太陽から物凄い存在感を感じました。空ってこんなにパワフルで壮大で美しかったのだと。なんて綺麗なんだろうと感動しました。

目に広がる世界が、いつも一層カラフルに感じました。ある道から庭先にかけて、白い蝶が追いかけっこしているのを見かけ、その様子を見ては涙を落としました。

白い蝶をとても愛おしく感じたんですよね。以前、春先のキャベツ畑で同じような光景を何度か見たことありましたが、そういう感情はありませんでした。

気が付けば、その場から動けなくなっていました。もし、また同じ場所にいったとしてもそんな感動は起こらないのではないかと思えてきました。

聖書を感じさせるお店でランチをいただきました。建物や内装も明るく、食事をしている人たちも乱れた感じもなく、木漏れ日から指す光と店内の温かさが心地よかったです。

その後は、その界隈を散策し樹木の葉の様々な色の違いや地面の白さ、黄味や赤味ががった落ち葉を見ては、魅了されていきました。

色とりどりの花やコスモスにも出会い、神様が創造してくださった沢山の美しいものをありがたく感じました。

薄手のコートを羽織っていた夕方の帰り道、北風の強風に吹かれ寒さと神様の威力を感じ、自分の小ささを痛いほど感じ、賛美歌にすがりたくなり何曲も口ずさんでいました。

神様RAPTさん賛美歌がなくてはならない存在であり、出逢えてよかった。素晴らしいと感じました。

2017年11月13日19:00

美しいものに包まれる。

最近、景色や自然について見入ってしまうことが増えていきました。

それまでは、作られた映画や芸術や有名人を見ては魅了されていることが多かったんですよね。

神様が存在していて全てを創造して下さっていたからだと理解した時、目に入ってくる景色が別世界に感じました。

どうしてこんなにも美しいのだろうと感動しています。そしてそれらに包まれて生きている自体、素晴らしいと思えました。

でも、世の中に溢れる情報やメディアの流す情報に触れると不安感が増し、頭が混乱していくんですよね。全く逆でした。

調べるとサタンの画像や数字にぶつかり、知らず知らずそれが強いものなのだと洗脳されていった気がします。ずっと間違っていたんですよね、考え方が。

この時代に神様が本当にいらっしゃって、私たちを愛してくださっていたのだと知れた今、感謝しています。

この世界には、沢山の動物や植物や食物が数え切れないほど存在しており、きっとこれには深い意味があるのかも知れないと思えたんですよね。

人間も同じで皆それぞれ違った性質で生まれてきて、名前も親も環境も違って今まで生きてこれたのだなと感じました。

世の中のシステムは、個性をつぶすような流れでこれはとても悲しいことだと思えました。人々が苦しむんですよね。

違うものに触れた時、やはり心が苦しいです。苦しいから求めて生きていると、きっと出会えるのだと感じ、感謝に変わりました。

2017年11月06日19:00

重なりあうハーモニー。

バランスの取れたもの調和のとれたものは本当に心地よく、人間にとって良いもの大切なものなのだと深く感じることがあります。

合唱曲を聞いた時、男性の低いパートと女性の高いパートが揃って歌声が響き渡った時、それぞれいい所が出ていて感動に包まれました。

歌詞が聖書っぽく感じてとても引き込まれたのですが、最後の方は自分中心を強く感じる歌詞だったので、はっとしました。

勇気づけられる歌詞で良いイメージでしたが、自分中心でやっても最後は上手く行かないだろうなと頭に浮かびました。

音楽も神様が創造してくださったけど、サタン側が破壊してきたのだとそこから感じられました。いいなと感じるものは、聖書っぽいと感じるんですよね。

頭に焼き付くけど、何かひっかかるんですよね。すっきりせず、心かもやもやしてしまいました。

以前、何人かで話し合いをしてその場を仕切っていたつもりでしたが、主張を貫こうとした時、後から反発がきて苦しんだ経験があります。

ルカによる福音書13章でイエス様の愛を感じる場面が少しあるのですが、次のことを思い出しました。数人程度でしたが、集めようとしても反発された時がありました。

自分の思う通りに進めようと思うと、何か一筋縄ではいかないと感じたんですよね。皆考えも違うから、まとまらずに反発しあうんですよね。

その事と照らし合わせて読んでいるうちに、イエス様はやはり愛の方なのだと感じるんですよね。

2017年10月31日18:00

計算された世界 美しさ。

肌寒かった曇り空の日、白く際立っている鳥を見かけました。群れで飛び交う鳥たちも。遠目からだったのですが、おそらくダイサギだったかと思います。

この二種類の野鳥を見た時、凄く綺麗だなと感動したんですよね。あの一定の間隔を保つ鳥の群れ。あの流線形。あの白さ。細く長い足で大きな翼を支えている姿。

もし、今のような地球でなく、鳥がさえずったりたたずんだり、大空を飛んだりしていなかったら一体どんな景色だったのだろうと考えてしまいました。

群れで飛び交う鳥たちがいなかったら、自然を通して聞こえていた音が、もし存在しておらず消えてなくなってしまったらと。

過去に、ツルの絵本を読んだことがあります。そのツルは孤独で家族もいなくて、ルールを守らなかったからなのか、頭をつつかれて血を出して痛い思いをしていました。

孤独で痛い思いをしてるツルを見ては、可愛そうだと思いました。受けた試練は大変だったけど、最後は孤独から解放されていきました。

自分もこんな風に孤独を感じていたんですよね。確かに痛くて大変ですが、それを乗り越えたり耐えたりすることが大切なんだと思えてきました。

ツルだけ見てると悲しみで終わりますが、ツルが生きていくための恵みもたくさん受けていたんだなと感じました。

太陽、雲、風、雨、大空、大地、海、酸素があって、植物や動物や人間など沢山の生物や物質が溢れているから生きていられるのだなと思えました。

もう数え切れないほどの、万物に囲まれていること自体、物凄いことなのだと感じたんですよね。

他には、パソコンやスマホに関しても本当に感謝しています。悪用して、問題を起こすのは良くないですが。

一つの物から膨大な情報を知り得たり、薄型の物や小型で便利なだけでなく、必要なアプリを付属して多機能に活用できる点もありがたく感じています。

この世の中で、有益なものに囲まれて生きていけるということが、とても恵み深いことだったのだと感じ感謝に変わりました。神様の事を教えて下さったRAPTさんは、愛の方なのだと感じました。

2017年10月27日18:00

歌や音楽が苦痛を拭い去る。

一時期、掃除をしながら健康になりたいと思い、熱心に掃除をしていたことがありました。

その時、断捨離なども流行っていて洋服などを買った時、買った分だけすぐに捨てるように心がけていました。

不要なものが溢れていて、必要に応じて捨てることで部屋もすっきりとし、整理整頓することで物も失くさずに済むのでいいこともありましたね。

でも、料理は違いました。ピザを焼いたりパンを焼いたりすることは好きでしたが、毎日作らなければいけない料理は、苦痛そのものだったんですよね。

最近、健康のためにも自炊することが大切だということに気づき、野菜中心に調理することを心がけるようにしました。

野菜の皮むき、カット、調理、洗い物などを含めると結構な時間を要するのですが、それがあまり苦痛に感じなくなりました。

以前は、玉ねぎをみじん切りにすると目がしみるなど野菜の下準備に嫌な思いを抱くことが多かったんです。

でも、RAPTさんのブログで配信される賛美歌を口ずさんだり、頭の中で思い出しながらその作業をすると、苦痛を感じることがなくなったんですよね。

本当に神様の働きは凄いと感じています。苦痛や苦手なことを拭い去って下さり、大切なことだと気が付かせてもらえたのは、ありがたかったです。

以前は、通勤や移動時に必ず音楽を聴いていたんですが、神様に出会い最近の賛美歌に出会ってからは既存の音楽を聞かなくなってしまいました。

苦手だった調理や洗い物も賛美歌を共にすると楽しいし、はかどるということに気づけたのは嬉しかったです。

2017年10月25日17:00

言葉と天気の不思議。

天気の変化や季節が廻ることを一年を通して体験し、その度にイメージや先入観を持つことがありました。

野外イベントで雨にぶつかり計画通りにいかず運が悪いと感じ、雨女のレッテルを張られたり、不運だなと嫌な感情を持つことがありました。

テレビやメディアや占いなど世の中で流出している言葉を通して、嫌な感情や悪い考え方を植え付けられていたのだと感じました。

言葉とは、人間を落ち込ませるようなやる気をなくすようなものに思えたんですよね。存在を排除されるような。

人と比較しては否定的な言葉をかけ、個性をつぶしてしまうような悲しい言葉でした。相手を人格否定しては、自分優位にさせる言葉だったのかと。

言葉や態度で傷つけあうのは、悲しいことです。それも身近な人を通して。学校、家庭、職場、恋愛などで。

少し前に、ある作家の格言のようなたぐいの言葉を読んだのですが、求めていたものと違っていたんですよね。

確かにそうだけど、解決にはならないんです。感情移入は出来たとしても、もやもやしたままでした。それで、ダラダラ読み続けてしまうのかなと感じました。

でも、神様の御言葉に触れた時、驚いたんですよね。あまりにも違うと。頭がすっきりできたんですよね。

天気も似ていると感じました。今まで雨に対していいイメージはなかったけど、雨さえも余り気にならなくなってしまうのかと。

むしろ、雨は静かに過ごせていいなと感じたり、一休みできていいなと思えたり、喉や肌の調子も良くなるような気がしたんですよね。

言葉や天気に対してのイメージも少しずつ変わっていくのかなと感じました。

2017年10月21日14:17