神様が偶像崇拝を禁じる理由。


私の住んでいる地域は、神社が近くにあります。

小学生時代は通学路で神社を目にしたり、中高生時代や社会人になって一人暮らしした地域でも家の近くに必ずありました。

以前は、ご利益目当てで神社にいってその偶像に手を合わせて拝んでたんですよね。特に深く悩んでいた小6の時は、熱心に神社に足を運び拝んでました。

それだけでなく、同居していたおじさんの家には神棚もありましたし、別のおじさんの家にもよくいっていたのですが、そこには神棚も仏壇もあったのでやはり拝んでいました。

また、子ども時代に時代劇を少し見ていたのですが、苦労している日本髪の着物をきた女性が、よくお百度参りしていてそれをすれば幸せになれると洗脳されていたんですよね。

高校受験の前には電車で明治神宮まで行ったり、社会人になってからも川崎大師に行ったり、出産前は水天宮まで母と参拝にいったこともあります。

しかし、一人暮らしをしていた時は、毎年祭りのシーズンにお神輿が目の前を通り過ぎたのですが、掛け声を耳にする度に恐怖を感じるようになっていきました。

聖書を読んでその意味が分かりました。それを神様が強く禁じ、怒りをあらわにされていて、いかに人々が偶像崇拝(悪魔崇拝)をして失敗してきたかが書かれてあるんですよね。

それだけではなく、人々が悪魔に生贄を捧げたり悪事をしていたからお怒りになられたわけですが。

偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)とは、偶像を崇拝する行為である。

偶像という語には「人形」「人間に似せた物」などいくつかの意味があるが、ここでは木材金属など具体的な物質で形どられた像のうち宗教的対象をかたどったものをさす[1]。また「偶像崇拝」という単語自体は、そうした宗教的な像を崇めることを禁じ、あるいは批判する立場から否定的な意味合いで使われることが多い(後述。同様に偶像崇拝を非難するために使われる単語として「偶像教」がある[2])。他方、何らかの宗教的な像を崇拝する信仰では、一般に崇拝の対象となる像を神像仏像などと表現しており、またその信仰形態を自ら偶像崇拝と定義する例は少ない。偶「像」と書かれるが、プロテスタントなどにおいては十字架への祈りも偶像崇拝とされ、首飾り、護符、ご神体などを信仰対象にすることも偶像崇拝である。

[引用元:Wikipedia]

とにかく知れば知るほど、凄いんですよね。神社やお寺がこれほどまでに日本には存在しているのだと。

また、山自体ピラミッドの山があるのだと。

2017-01-20 10:53