そよ風が頬をなでる時。

夜道を歩いた時、暗いながらもその空の壮大さ、月の美しさ、自然の力を改めて感じることがありました。

その全てが人間にとって必要であり、不足すると生きていけずいつも神様が装って下さっていたのだと感じました。

雲から見え隠れする満月もとても神秘的で綺麗でした。上手く撮影できなかったのですが、見たこともないくらいきれいな色合いだったんですよね。

今までも何度も空を見上げていましたが、その時は喜びの感情が沸き上がりました。

頭の中から、不愉快な感情が消えて喜べるということは、肉体にも心にも良い事なのだと思えました。ずっと覚えていたい。記憶から消し去りたくないといった光景でした。

他には、放射状にはじけたような雲がいくつか浮かんでいて、そのようなことは初めてだったので感激してしまいました。

いつもよりも星が輝いていて、空気も澄んでいてとても嬉しい気持ちになりました。

こんな時、神様を感じているのかなと思いありがたく感じられます。

のどの調子があまりよくない時も、そよ風を頬に感じ、雨が落ちしっとりとした空気に癒され平安な時間が過ごせた時、神様に感謝しました。

この時代に神様の存在を知り、聖書や賛美歌に出会えたことは、とても貴重なことなのだと実感しました。良いものを与えて下さる神様は、愛の存在なのだと感じました。

2017年10月19日22:37

出会いは偶然ではないかも知れない。

以前、出店の金魚すくいで金魚を家に持ち帰ってきたことがありました。

この金魚もきっと生き残らないんだろうなと軽んじ、半日以上汲んでおいた水道水をバケツの中に入れてその一匹の金魚を飼い始めました。

三日後、その金魚は生きていました。いつもなら弱って死んでしまうはずなのに、この金魚は強いと衝撃を受けました。

いつも三日くらいで死んでしまうことが多かったんですよね。

七日目にバケツを覗いてみると、その金魚は生きていました。もしかしてこの金魚は特別なのかも知れないと思えてきたんです。

さすがにこのまま適当に飼うのはまずいと感じ、ホームセンターで水槽やエアーを購入しました。一匹では寂しいだろうから、華やかな金魚を三匹購入しました。

水槽に入れてみましたが、みんなで仲良くとはいかず、四匹の関係も落ち着かず、仲たがいしているように見えました。

金魚すくいですくった金魚は、色柄もシンプルで体も一番小さくて善良なイメージでした。

他の金魚は、きらびやかで大きくて、尾びれも綺麗でした。でも、性質が自己中心的で悪の要素が漂っていたんですよね。

一年経った頃から、その金魚が一匹ずつ死んでいってしまいました。そして、最後に残ったのが金魚すくいの金魚でした。

実は、その名前の一部が黙示録に出てるんですよね。これには、驚きました。数字や名前から神様や聖書を連想しました。

もしかして、これも偶然ではないのかなと思えてきました。

2017年10月11日19:34

屈辱さえ吹き飛ばしてしまう。

一年以上前に、二人の人との関係で苦痛を受け、悩んでいたことがありました。連絡しても、知らないふりというか聞き流していたような無視されていたような気がしました。

よくない感情が沸き上がってきたんですよね。どうにもならずに祈っていました。その時になったら裁いて下さるのかなと思い、途中からその祈りをやめてしまったのですが。

今となると、高慢さや執着心を消すための試練だったのかなとも思えたりします。やっとその悩みが解決したんです。だいぶ前の事だったので、その事をすっかり忘れていたんですよね。

二人のうちの一人は、謝罪があり嫌な感情を抱くことすら消えていました。これは、凄いことでした。憎むことなく感謝が苦手な自分が、感謝出来たのは驚きでした。

過去に有名な作家の本を読み、悩みが解決せず憎しみが増幅し、高慢に振る舞っていたことがありました。間違った考えを取り入れていたんですよね。

すぐ解決したならば、自分を過信し高慢に振る舞い、プライドを持ち、良くなかったのだと思います。何年も過ぎてから解決した時、これやっぱり神様かも知れないと感じたんですよね。

箴言2章に悟りと裁きについてありますが、あの時裁きの祈りを捧げてたから、神様裁いて下さったのかなと。今すっきり出来てるんだと感謝に変わりました。

以前は、環境を変えて悩みを解決しようとしていました。でも、環境を変えてないのに心がすっきりし執着心をなくせたのは、凄いことでした。屈辱さえ吹き飛ばして下さるのかと。

最近、野菜不足であまり良くないと感じ祈っていたのですが、知り合いの方から旬の野菜と果物を頂きました。やっぱり嬉しかったです。

料理は得意ではないですが、野菜は天ぷらにして果物もすぐ頂きました。こんな時、聖書に書かれている求めなさいという御言葉が身に染みて伝わってきます。

2017年10月07日11:20

あの頃見ていた海外ドラマや映画。

一時期、レンタルビデオ店で休日前になると海外ドラマや映画をよく借りていました。UFOとかオカルトをテーマにしたものが流行っていたんですよね。

エイリアンとか謎に満ちているように演出しつつも、そのドラマの主人公が美男美女だったので、風貌にすっかり魅了されました。

他にテレビで見た映画だと、グレムリンやE.Tがあります。どれもほとんど記憶に残ってませんが、何故かその時は夢中でした。ただ、E.Tの音楽だけは好きでした。

その後は、美男美女の海外ドラマも飽きてしまい、借りる気が失せてしまいました。

その中の一つにカニバリズムの海外映画がありました。その頃は、変だなと感じながらも感動という言葉につられて、素通りしてしまったんですよね。

関連の情報を調べるほどに、えげつなくて気分が悪くなってしまい、中断しざるを得ませんでした。今ようやく書けるようになったんですよね。

その映画は、アンデスの雪山で飛行機の遭難事故をもとに、食糧難で生存者が亡くなった仲間を食べるといった内容だったと思います。調べたら聖体拝領というものでした。

実はその映画の後、1999年アンデスのルライラコ山の標高6739メートルで、薬物漬けの三人の子どもがミイラで見つかっているんですよね。画像を確認する気になれませんでした。

やっぱり、見ると苦しくなってしまうんです。そういう場所だったのかと。それでますます神様や綺麗な空、美しい音楽を求めたくなりました。

聖書に記されてあるモレクやソロモン72柱で調べたバエルは、本当だったのだと感じてしまいました。

2017年10月04日10:47

力強さを感じる唯一の存在。

神様に出会ってから色々な経験がありました。過去ブログの一部を修正してた際、ブラウザの画面が数分間横に揺らぎ、撮影しようとした瞬間止んだこともあります。

色んな現象が起きて、それに驚くことが増えていきました。ブログを辞めようとした時にも経験しました。まだ書いていない怪奇現象もあります。

聖書で、イエス様が悪霊に憑りつかれてる人を救っているシーンがあります。自分の恐怖体験を思い出しそのシーンとつながった時、霊の存在を信じるようになったんですよね。

見えない相手に苦しめられた時、そう感じました。

占いやスピリチュアルだと守護霊といいますが、見えない相手から守られるというより、長い歴史で積み上げてきた燃えたぎる憎悪や殺意や背景を強烈に感じたんですよね。

聖書は、霊的な存在である神様やサタンや悪霊のことがはっきり書かれていて、そこからもの凄い神様の威力を感じるんですよね。

悪魔も強力だけど、完全じゃない人間が成長して完全な神様と共にした時、物凄い力が加わるのだと。

怖いところしか見えなかった神様が、悟ることで神様は本当格好いいし、力強くて栄光の存在に思えるんですよね。

今日は、傷つきすぎて切なくて神様を求めたんです。自分の中に霊が存在していると強く感じて。眠気もすごいし、窓から天を眺めながら。次第に目に涙が浮かびました。愛、感じたんですよね。

オペラとかミュージカルが見せる愛とは違うんですよね。静かに溢れている愛でした。

肌寒くなると本当寂しくなるんですよね。愛されたことがなかったから。そんな時、神様に求めてみるといいと思います。

求めたら、神様の深い悲しみ感じやすいと。神様の感じている悲しみと自分が感じている悲しみが一緒だといいなと思ったんですよね。

何か答えを与えてくださると思います。その時は分からなくても、後になって気づくこともあるんです。これは、人間には不可能な業ですから。

人それぞれ必要なものを与えて下さる神様は、やっぱり愛の存在ですね。

2017年09月25日11:30

数多くの本の中で手に取った本は。


最近、書店にいくことが少なくなっていたのですが、先日久しぶりに立ち寄ってみました。それも足の調子が良かったから行けたんですよね。やっぱり嬉しかったです。

それで、文庫本の棚をざっと見て目に入ってきたのが、アーサー王関連の書籍でした。

ハードカバーの厚い本でした。子どもの頃からそのような本を避けて通ってきたのですが、理由が分かりました。

時間の関係で最初の数ページしか読めなかったんですが、占い師や生贄の話が出てきたんですよね。

以前なら、何も感じず素通りしてしまっていたと思うのですが、自動的に悪魔崇拝者や聖書のことが頭によぎりました。

本だけじゃなく映画も悪魔的なものはすぐに見つかるんですよね。家にもそれらしき映画のDVDがあったのですが、先月処分しました。

昨年か一昨年に、YouTubeでもそのような映画を見たのですが、先住民の男性と他国の女性が恋愛というか情というか深い関係に陥るという内容でした。

それも普通の恋愛ではなく、癖のある内容でした。

今考えると恋に落ちる=罠にかかったという認識に変わるんですよね、自然と。

でも相手が巧妙だと女性はそれに気がつかないのかも知れません。

以前、神様にこれが欲しいと祈っていたことがありました。

三か月とかそれ以上前にタブレットが欲しいと祈っていたことがあったんです。そんなに長くは祈ってなくて、数日でした。

つい最近それが手に入ったんですよね。母親の家に行ったら、「このタブレットいらないからあげるよ」と。恵みですね。嬉しかったです。

タブレットの楽器アプリでピアノをやったり、(鍵盤が小さいですが)Kindleで口語訳聖書をダウンロードしたりも出来ました。

でも途中から色んな感情が込み上げてきて、気がつくと体が震えるかのように泣いていました。残念ながら喜びの感情ではなかったですが。

やっぱり、ピアノは難しかったです。音符も読めないし、緊張して物凄い肩が凝ってしまいました。(笑)

2017-08-18 16:04

守護樹占いとおまじない。

何年か前にテレホン人生相談の大原敬子アドバイザーの本を書店で購入して何冊か読んでいました。どうやって子育てしたらいいんだろうと悩んでいたんですよね。

その中で、守護樹占いやおまじないに関する本があったので少し調べてみました。

樹木占いやおまじないが元々どんなものなのか、ケルトも関係すると思ったので今回ケルトに調べてみました。

ケルトと宗教

当初の宗教は自然崇拝の多神教であり、ドルイドと呼ばれる神官がそれを司っていた。 初期のドルイドは、祭祀のみでなく、政治や司法などにも関わっていた。 ドルイドの予言の儀式では人身供犠が行われていることを、多くの古典古代の著述家たちが記述している[1]。


また、ケルト人には人頭崇拝の風習があった。ケルト人は人の頭部は魂の住処となる神性を帯びた部位であり、独自に存在し得るものと考えた[3]。敵の首級を所有することでその人物の人格や魂を支配できると信じ、戦争で得られた首級は門などの晴れがましい場所に飾られたり、神殿への供物や家宝として扱われた。ケルト芸術には人頭のモチーフが多くみられ、アイルランドではキリスト教改宗後も教会や聖所の装飾に多くの人頭があしらわれている。

[引用元:Wikipedia]

いやはや、恐ろしいです。深く落胆してしまいます。人を殺して生贄にしたり、戦争で得た人頭を崇拝をしていたとは。

崇拝までいかなくとも、人頭といえば日本だと戦国時代の武将や他国だと現代の過激派組織ISイスラム国がまさにそうですね。首を特別視してますから。


次はおまじないに関してです。日本ではおまじないを、呪い(まじない)と書きます。まさに呪いそのものでした。それを知られたくないから、ひらがなで表記されていたのですね。

以前、恋愛関係や片思いで悩んでいた時におまじないをしていたことがあったのですが、その行為が呪いだったとは開いた口がふさがりません。

占い雑誌や恋愛ネタの情報誌にで見かけていたので、気が向いた時に軽い気持ちでやったりしていたんですよね。でも状況が良くなることはなかったです。

このことを知らずに人生のラッキーチャンスだと間違った認識をした女性がいると思います。悩んでいる時、おまじないで幸せをゲット出来るという嘘の情報を信じてしまいがちなんですよね。

2017-02-26 00:00